written by Ryohei Endo

【一関】舞草刀と儛草神社とは?日本刀発祥の地が一関にあった⁉︎

一関 岩手Blog 観光スポット 岩手

おばんですryoです!

日本固有の鍛冶製法によって作られる「日本刀」かつては戦の道具として使われ、現在は美術品としても貴重な価値を持ちます。一部の日本刀は現代の技術を持ってしても再現ができない「ロストテクノロジー」とも呼ばれ、古来より高い技術を誇っていたこと示してくれている。

そんな日本刀ですが、岩手県一関市には日本刀発祥の地ではないかと言われている場所があるんです。今日は、「舞草刀」、「儛草神社」を紹介します!

日本刀のルーツともされる舞草刀とは?

日本刀のルーツともされる舞草刀とは?

岩手県一関市舞川地区には、日本刀の発祥とされる伝説が残されています。かつてこの地には平安時代より刀鍛冶集団「舞草鍛冶」が住んでいたと伝えられ、その鍛冶集団が鍛えたのが日本刀のルーツとされる「舞草刀(もくさとう)」です。この舞草刀はそれまで主流であった直刀ではなく、日本刀の原型となった反りのある刀の創始だとされています。

舞草鍛冶の活躍は、京都・観智院に伝わる現在最古の銘尽をはじめとする多くの刀剣書などに記述がみられる。しかし、在銘品が極めて少ないことなどから、まだまだ謎に包まれている部分も多い。

一関市厳美にある一関市博物館では茎に「舞草」と刻まれ、舞草刀の特徴がみられる鎌倉時代初期の太刀などが展示されており、その歴史にも触れることができます。

儛草神社とは?

儛草神社とは?

一関市と平泉町にまたがる観音山の山頂付近に鎮座する「儛草神社」は、養老2年(718)白山妙理権現が創建と伝わる神社です。仁寿2年(852)に神階従五位下授かると「文徳実録」に記載され、延長5年(927)に奏請された延喜式神名帳にも陸奥国一百座内磐井郡二座にも名を連ねました。一関市山目にある「配志和神社」と共にその社格を誇る存在です。

一方、大同2年(807)に坂上田村麻呂が東夷征伐の祈願成就の礼として、境内の一画に観音を建立。これは吉祥山東城寺と称され、一大寺院を構築しました。

かつて儛草神社は観音山に連なる白山岳に鎮座していた伝承がある。先程は紹介した舞草鍛冶がこの付近を拠点としていたとされる伝説が残されており、そのことから儛草神社周辺は日本刀発祥の地とされています。また、近年刀剣ブームが高まったこともあり、刀剣マニアの間では儛草神社は聖地とされるようになりました。

この鍛冶遺構の確定を目指して発掘調査が実施され、周辺からタタラ跡や鞴の羽口、鏃、鉄滓が発見されています。しかし、刀鍛冶だという確かな痕跡が見つからず、まだまだ舞草鍛冶は謎のベールにつつまれている部分が多いです。これらの解明が進めば日本刀のルーツや一関市の鍛冶文化、または奥州藤原氏の繁栄の歴史がより詳しくなるかもしれません。

儛草神社 基本情報

儛草神社 基本情報
住所 岩手県一関市舞川字大平5

儛草神社へは、表参道と東参道から向かうことができます。表参道は徒歩のみで、参道入り口より儛草神社までは約800mです。未舗装の山道で傾斜もキツいため、こちらを利用する際は歩きやすい靴、服装をオススメします。東参道は、儛草神社境内にある駐車場まで車で向かうことができます。未舗装の山道になっているため運転にはご注意ください。

儛草神社 表参道

儛草神社 東参道入り口