written by Ryohei Endo

東日本大震災から9年経って感じること

ryo's Blog 岩手Blog

おばんですryoです。

明日で東日本大震災から9年が経とうとしています。

震災でお亡くなりになった方のご冥福を心からお祈り申し上げます。

私も高校3年生の時に震災を経験しました。当たり前の日常が一瞬で崩れ去った出来事でした。

もっと辛い思いをした人はたくさん居り、自分自身が伝えて良いのか考えましたが、少しでもあの出来事を風化させないため、そして自分自身が忘れない為にも紹介させていただきます。

震災当時の様子

震災当時の様子

震災当時自分高校3年生になる年でした。いつも通りの日常を送り、部活の午後練の準備をしているといきなり強い揺れが襲ってきました。

岩手県では何回か強い地震が起きていて、それを経験していましたが、その時よりも確実に強い揺れにただ身を守ることしかできなかったことを覚えています。

揺れが収まり外に出てみると、割れたガラスやヒビが入った道路、崩れた外壁などがありました。それだけ地震の揺れが激しかったことを物語っていました。

その日はなんとか親が迎えにきてくれ、家に戻る事ができました。幸い家は、山沿いにありモノなどが崩れたり、壊れたりしたものの深刻なダメージはありませんでした。しかし、電気が止まり水も濁った水が出てきます。そしてテレビ等もつかない為、情報が少なく周りがどうなっているか分かりませんでした。ロウロクなどを使いその日は、なんとか眠りにつきました。電気のありがたみをこれほど感じた日はありません。

次の日発電機が家にあったためテレビをつけてみるとそこには衝撃的な光景が広がっていました。津波が町を飲み込んで行く姿は、テレビからでも恐怖が伝わり、今でも忘れることはありません。津波の恐怖を初めて知った瞬間でした。

少し時間が経ちボランティアで隣の港町に行った時、そこには自分が知っていた町の姿はありませんでした。自然の力は容易く、知っていた町の姿を瓦礫の山に変えてしまいました。

当たり前だった日常が崩れ去ったんだと実感しました。

震災から自分の住んでいる場所の電気が復旧するのに1週間ほどかかり、物流が止まっていたためガソリンやお店に商品がない状態はしばらく続きました。電車なども動いていませんでした。

そんな中でも、みんなが協力して1つになっていたことを覚えています。商品がお店に入ると、きちんとルールを守り列を作って必要なモノだけを買っていましたし、協力できる面は互いに支えながら行っていました。

比較的被害の大きくなかった自分の地域でも、日常が少しずつ戻り始めたのは1ヶ月が過ぎたあたりでした。

震災から9年が経って感じること

震災から9年が経って感じること

そんな絶望ともいえる状態から日本のみならず世界各国からの支援も受けながら、少しずつ復興が進んできました。

今では普通の暮らしが戻り、また美しい海の姿も見る事ができます。

あの状態からでもここまで復興した東北の力強さを感じています。

しかし、まだ復興は終わっていないと思います。まだまだ工事は続いていますし、震災によって離れてしまった人もたくさん居ると思います。手が回り切っていない場所もまだあります。

昨年宮古の居酒屋の大将さんと話す機会があったんですが、もし工事が終わってしまったらまた人が減ってしまうと心配する声もありました。また若い人が戻って来やすい環境も無いとおっしゃっていました。

あれから9年が経っても復興は完全には終わっていません。それにまだ課題も残されているのでは無いかと感じています。テレビ放送など少なくなってきていてもそれは忘れてはいけないことだと思います。

そしてこれから

そしてこれから

東日本大震災は決して風化させては行けないモノだと思います。自分自身も忘れはしませんし、もし子供が出来た時にはきちんと伝えてあげたいと思っています。

そして自分自身が大好きな岩手県の為に出来ることを少しずつでも積み重ねていきたい思っています。

岩手沿岸美味しい海鮮を食べる事ができ、リアス式海岸の美しい景色も楽しめる良い場所です。居酒屋の大将さんは来てくれるだけでも嬉しい事とおっしゃっていました。ご興味がある方ぜひいらしてみて下さい。

おわりに今ある日常はとても素晴らしいモノだと思っています。しかし、あの時の様にいきなり崩れ去ってしまうかも知れません。今ある時間を大切にしていきたいと思います。

どんなに望んでも時間は巻き戻すことはできません、少しでも後悔の無い時間を過ごして行きましょう。